「高島の嫡男のお手付きらしい」
、何だ」
「高島の嫡男のお手付きらしい」
「
あれがねえ。あんな棒みたいな小娘が」
「一番の手練れに護衛させるぐらいだから」
「
を利用しない手はないね」
「
」
闇の中ーー黒い影たちが、溶けるように消えていった。夜明けーー
キンと冷えた空気が、ピリッと頬を刺す。
東の山際がぼうと明るくなり、空の色が変わっていく。
冬特有の重たそうな灰色の雲が、だんだんはっきりしていく。
小鳥たちが朝の訪れを喜ぶようにさえずり、木の枝から枝へ飛んではまるで会話をしているかのように小首を傾げあっている。
低角に差し込む朝日に朝露がキラキラと光る。
吐く息が白い。
冬の朝だ。
「
寒い?」
「
大丈夫です」
牙蔵と詩はすっぽり同じにくるまり、触れ合っている部分はポカポカと暖かい。
またしばらく無言で進む。
すっかり明るくなった空。
新しい1日ーー
「
あれが多賀の家」
はるか遠く道の向こうーー古いけれど手入れのよく行き届いた屋敷が見えてきた。
詩はコクンと頷く。
とうとう、着くのだ。緋沙の、実家に。
「当主は人畜無害な、お人好し」
「
えーと
緋沙様のお兄様、ですか
?」
「そう。おめでたい人」
多賀家は、由緒正しい血筋の家柄。
力はなく、高島との姻戚関係のおかげで、高島の庇護のもとにあるのが実情だった。
「
他国が多賀に手を出せば高島が黙ってない。
それは各国暗黙の了解だけど
」
「
」
「ま、大丈夫か
」
最後は独り言みたいに呟く牙蔵。詩は黙って聞いていた。
緋沙の実家。
多賀家。
『姫』の立場は棄てて、ここから独り立ちの道を探そうーー
詩の鼓動がドキドキと逸る。
「
お前、多賀で侍女にでもなって働くつもり」
「
はい、しばらくは、そのつもりです」
ーー働くことを身に着けて
住むところがあって、仕事があれば
そう、まずはやってみないと
何でも、やってみることだ。
いつか、松丸が言っていた。
『姫様
やる前から色々考えても埒があきません。
やろうと決めて、立ち上がった時。
その時、やろうと思ったことは半分終わったも同じなのです』
ーー女だからって
人に頼らず
自分で生きてみたい。
うん
やってみる。
うん
。私
ワクワクしている
「ま、いーんじゃない」
「牙蔵さん
わざわざ送って下さって、ありがとうございました」
牙蔵がくすりと笑った。
「信継が知ったらーーすぐ飛んでくるだろうね」
「え」
ーーそれは
っ
詩は焦りのあまり、一瞬、くるっと牙蔵を振り返る。
「
っ」
じっと詩を見下ろす涼しい瞳が、思いのほか至近距離にあって、詩は慌てて前を向いた。
「
」
「
言わないよ」
笑いを含んだ小さな声がーー優しく耳に届く。
「
はい、ありがとう
ございます」
「
言わないけど、自分の身は自分で守れ」
「
はい」
「お前に何かあった時は、奥方と信継に言う」
「
」
「だから
俺とは連絡を取ること。いい?」
「
わかりました」
牙蔵がそこまで自分を気にするのは、緋沙や信継の手前なんだろう、詩はそう思った。門のところで取り次いでもらって、緋沙から預かった文を渡す。
すぐ屋敷の中に通され、詩は客間を借り持参していた着物に着替えさせてもらった。
それから、襖の外で待っていた牙蔵と2人、案内された襖の前で待つ。
ーーと、
「どうぞ入って」
中からすぐに優しい声がする。
広間に入ると、多賀家当主ーー
がふわりと笑った。
「やあ、よく来たね。
緋沙の兄、多賀芳輝です」
詩と牙蔵は揃って頭を下げた。
「顔を上げて。
牙蔵君は久しぶりだね」
詩はそっと顔を上げる。
多賀の当主は、緋沙によく似て、すらりと細身でまだ若い、女性としても通用しそうなほど、たおやかできれいな男性だった。
その白い手は、きっと刀など持ったことはなくーー
優しそうな人ーー
一目で詩はそう思った。
「ご無沙汰しています」
牙蔵が小さく言った。
詩が続いて挨拶のため口を開こうとするとーー
「うん。
で、可愛らしい娘さん。
君が桜だね」
また芳輝にふわりと微笑まれ、詩は何も言えなくなった。
ーー桜
きっと緋沙様の文にはそう書いてあるのだ。
「ふふ
妹が
私が娘のように可愛がっている桜です。必ず大切にって書いていた。
緋沙は昔から人に頼みごとをしない子だったから
よっぽど君のことが好きで、大事なんだね」
詩の目元は思わずじんと赤くなった。
ーー緋沙様
緋沙の気づかいや、自分に向けられた深い愛情に、胸が温かくなる。
詩は居住まいを正して、畳に手を着いた。
「