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元々ゴロデリア王国の兵制では弓兵

元々ゴロデリア王国の兵制では弓兵

元々ゴロデリア王国の兵制では弓兵、槍兵、剣士の三種類の兵士が設定されていた。そして、軍隊の主力は剣士部隊であり、剣と盾で武装した剣士部隊が、敵の弓や槍を盾で防ぎながら圧力で押し切る戦い方が主流であった。最小の軍事行動単位である小隊では士官の端くれである小隊長は騎上する。各剣士は、その小隊長を取り巻くように布陣し、指揮を受けながら押し進んで行く形になる。 逆に槍兵は騎馬隊に対抗する為に編成されるもので主流では無かった。ただ、タゴロローム守備軍は王国の国境に配置され、アルハインドのような騎馬民族からの防衛の為に槍兵士の配分比率が高かったのである。 ゴロデリア王国における一般的戦争風景としては、まず弓部隊が矢を放って牽制を行い、次に剣士部隊が突撃して敵を押し込むという戦術が一般的であった。無論、挟み撃ちや包囲等、陣形による戦術は普通に取られていたが、あくまで主力は剣士部隊であった。ハンベエは逆にこの剣士部隊を、否、武装としての盾を廃止してしまった。対騎馬用の長槍で兵士を武装させ、一斉突撃で敵を突き破る方が絶対に有利である、とこの若者は感じたのである。長い槍で突く、短い剣を振り回すより長い槍で突く方が圧倒的に有利だと単純に結論付けていた。織田信長は鉄砲で有名であるが、織田家の長槍というのも有名であった。この日本史上屈指の天才戦術家も長槍を以って有効な武器と考えた。更に云えば、長槍部隊についてはずっとずっと先駆者がいた。古代世界における大英雄、マケドニアのアレキサンダー王である。彼も又、鋼鉄製の長い槍を装備した部隊を主力にし、特別な訓練を施したとされる。ハンベエは剣術使いである。剣には特別な思い入れが有る上、槍襖に取り囲まれても斬り破る自信が有る。現に、タゴゴロームで二百人のハンベエ抹殺部隊と戦った際も、十重二十重に囲む槍襖をものともしなかった。が、しかし、集団戦において無針埋線 は長槍の方が有利であると、あっさりと見切った。モルフィネスが弓において射程の長さを重視したように、長い武器の方が有利である、と単純で平凡な理に素直に服したのである。剣術の得意な者の中にはは剣を以って戦う事に固執し、ハンベエに願い出た者もいたようだが、ハンベエは取り上げなかった。剣の玄奥は集団戦には応用の余地などないと言い切りそうな勢いだったらしい。勿論、剣の使用を禁じたわけでもない。長槍の使用は突撃時における強制であって、その後、剣を抜いて戦おうが、槍で戦おうが、それは兵士個々人の自由である、臨機応変にされよ、とハンベエは言った。こうして、モルフィネスの弓部隊、ドルバスの長槍部隊、二つの部隊を以ってタゴロローム守備軍の新部隊編成が進められた。